内容紹介
ベートーヴェン(1770-1827):ヨーゼフ2世の葬送カンタータ 他
皇帝ヨーゼフ2世葬送カンタータ WoO 87(1790)
1.合唱: Tot, stöhnt es durch die öde Nacht!
2.レチタティーヴォ(バス): Ein Ungeheuer, sein Name Fanatismus
3.アリア(バス): Da kam Joseph, mit Gottes Stärke
4.アリア(ソプラノ)と合唱: Da stiegen die Menschen an's Licht
5.レチタティーヴォ(ソプラノ):
Er schläft, von den Sorgen seiner Welten entladen
6.アリア(ソプラノ): Hier schlummert seinen stillen Frieden
7.合唱: Tot, stöhnt es durch die öde Nacht!
皇帝レオポルト2世戴冠式カンタータ WoO 88(1790頃)
8.レチタティーヴォ(ソプラノ)と合唱: Er schlummert … schlummert
9.アリア(ソプラノ): Fliesse, Wonnezähre, fliesse!
10.レチタティーヴォ(バス): Ihr staunt, Völker der Erde!
11.レチタティーヴォ(テノール): Wie bebt mein Herz vor Wonne!
12.三重唱(ソプラノ,テノール,バス):
Ihr, die Joseph ihren Vater nannten
13.合唱: Heil! Stürzet nieder, Millionen
レーッタ・ハーヴィスト(ソプラノ)…4-6
ヨハンナ・レースヴオリ(ソプラノ)…8,9, 12
トゥオマス・カタヤラ(テノール)…11,12
ユハ・コティライネン(バス)…2,3
ニクラス・スパンベリ(バス)…10,12
アボエンシス大聖堂聖歌隊…1,4, 7
キー・アンサンブル…8,13
レイフ・セーゲルスタム(指揮)
トゥルク・フィルハーモニー管弦楽団
録音 トゥルク・コンサートホール、フィンランド
2018年8月27-31日 トゥルク・コンサートホール、フィンランド…8-13
2018年10月15-19日トゥルク・コンサートホール、フィンランド…1-7
1790年に皇帝ヨーゼフ2世が亡くなった時、ベートーヴェンはボンの宮廷音楽隊のメンバーでした。ボンの市民たちは喪に服し、ベートーヴェンも皇帝のための追悼カンタータを作曲、さらにヨーゼフ2世の後を引き継ぎ帝位を継承した「レオポルド2世の戴冠式のためのカンタータ」の作曲も思い立ち、見事な作品を書き上げました。しかし、演奏の機会を持つことはできず、どちらも用途の決まった作品であったためか、ベートーヴェンの生前に演奏されることはありませんでした。とはいえ、彼はこの2曲の仕上がりに自信を持っていたようで「葬送カンタータ」の一部は、のちに歌劇《フィデリオ》のフィナーレに転用、また「戴冠式カンタータ」は、1790年、もしくは1792年、ボンに立ち寄ったハイドンに見せたとされています。どちらも20歳前後の若者の作品とは思えないほどの高い完成度を誇るカンタータを、セーゲルスタムが堂々たる演奏で聴かせます。
"span"メディア掲載レビューほか
"span"1790年に皇帝ヨーゼフ2世が亡くなった時、ベートーヴェンはボンの宮廷音楽隊のメンバーでした。ボンの市民たちは喪に服し、ベートーヴェンも皇帝のための追悼カンタータを作曲、さらにヨーゼフ2世の後を引き継ぎ帝位を継承した「レオポルド2世の戴冠式のためのカンタータ」の作曲も思い立ち、見事な作品を書き上げました。しかし、演奏の機会を持つことはできず、どちらも用途の決まった作品であったためか、ベートーヴェンの生前に演奏されることはありませんでした。とはいえ、彼はこの2曲の仕上がりに自信を持っていたようで「葬送カンタータ」の一部は、のちに歌劇≪フィデリオ≫のフィナーレに転用、また「戴冠式カンタータ」は、1790年、もしくは1792年、ボンに立ち寄ったハイドンに見せたとされています。どちらも20歳前後の若者の作品とは思えないほどの高い完成度を誇るカンタータを、セーゲルスタムが堂々たる演奏で聴かせます。 (C)RS
"span"アーティストについて
"span"レーッタ・ハーヴィスト(ソプラノ)/ヨハンナ・レースヴオリ(ソプラノ)/アボエンシス大聖堂聖歌隊/レイフ・セーゲルスタム(指揮)/トゥルク・フィルハーモニー管弦楽団 他